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公開日: 2019.07.25
【若田光一が対談、宇宙開発の現状】 「はやぶさ」が変えた生物学の世界
JAXAの組織である宇宙科学研究所長の國中均氏と対談。「はやぶさ」の成功が意味することは? 日本宇宙開発の現状は?

地球近傍軌道(地球低軌道)を民間企業や、研究機関が使うことで、何ができるのか。どのようなイノベーションにつながるのか。宇宙航空研究開発機構(JAXA)理事・有人宇宙技術部門長で、宇宙飛行士の若田光一氏が、外部識者たちとの対談で探る。
今回はその第5弾。JAXAの理事であり、最先端技術の研究開発を行う宇宙科学研究所(ISAS)の所長でもある國中均氏と、「はやぶさ」が果たした役割や、JAXAが民間企業と進めている協業プログラムについて議論した。聞き手は本誌。
今回はその第5弾。JAXAの理事であり、最先端技術の研究開発を行う宇宙科学研究所(ISAS)の所長でもある國中均氏と、「はやぶさ」が果たした役割や、JAXAが民間企業と進めている協業プログラムについて議論した。聞き手は本誌。
JAXAで最先端の研究開発を担うISAS
國中さんは、宇宙科学研究所(ISAS)の出身ですよね。ISASは、今JAXAに所属する機関ですが、そもそもISASはどのような組織だったのでしょうか。
國中 ISASの原点は、1918年に設立された東京大学附属の航空研究所です。戦後、GHQによって飛行機の研究が禁止され、理工学研究所と名称を変えました。その後、サンフランシスコ講和条約によって再び航空研究が可能になり、航空研究所が復活しました。その頃、米国で見聞を広めていた糸川英夫先生が帰国してロケットの研究を始めたことで、宇宙航空研究所が設立。1981年にISASに改組され、2003年にJAXAとして統合され、今に至ります。
日本の宇宙研究の最先端を走ってきたわけですが、どんな研究をしてきたのでしょうか。
國中 日本におけるロケットの研究はペンシルロケットの水平発射から始まって、カッパロケット、ラムダロケット、ミューロケットに発展していきました。1957~58年に実施された国際地球観測年(IGY)という国際協力プロジェクトをきっかけに、ロケットにおいて打ち上げ高度をどんどんと上げていく技術が確立されていきます。そして、いよいよ日本でも1970年に、人工衛星「おおすみ」を打ち上げるわけです。でも、米国は1969年にアポロ11号を打ち上げています。当時は、そのくらい技術的な差がありました。
1986年には国際協力でハレー彗星を観測することになりました。ハレー彗星は75年サイクルで地球に近づくのですが、その時はたまたま地球との位置関係が悪くて、はっきりと見えないことが分かっていました。そこで、各国がこぞって人工衛星を打ち上げ、宇宙からハレー彗星を観測しようとしたわけです。日本が打ち上げたのは、その中でも一番小さい140キロくらいの「さきがけ」という探査機でしたが、これによって日本の宇宙技術は格段に向上しました。
当時、私は大学院生でイオンエンジンを研究していました。博士課程卒業後に助手として、(先述の)宇宙航空研究所に採用されたのですが、その頃に関わったミッションが宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)という、回収・再利用可能な宇宙実験・観測システムでした。SFUはH2ロケットで種子島から打ち上げ、宇宙でいろいろな実験を行った後、1996年に若田さんがスペースシャトルで迎えに行って地球に持って帰ってくれました。
1986年には国際協力でハレー彗星を観測することになりました。ハレー彗星は75年サイクルで地球に近づくのですが、その時はたまたま地球との位置関係が悪くて、はっきりと見えないことが分かっていました。そこで、各国がこぞって人工衛星を打ち上げ、宇宙からハレー彗星を観測しようとしたわけです。日本が打ち上げたのは、その中でも一番小さい140キロくらいの「さきがけ」という探査機でしたが、これによって日本の宇宙技術は格段に向上しました。
当時、私は大学院生でイオンエンジンを研究していました。博士課程卒業後に助手として、(先述の)宇宙航空研究所に採用されたのですが、その頃に関わったミッションが宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)という、回収・再利用可能な宇宙実験・観測システムでした。SFUはH2ロケットで種子島から打ち上げ、宇宙でいろいろな実験を行った後、1996年に若田さんがスペースシャトルで迎えに行って地球に持って帰ってくれました。
そのころから、國中さんと若田さんは、お知り合いだったのですね。
若田 そうです。SFUのときに國中さんと初めて一緒に仕事をさせていただきました。スペースシャトルに乗る前から、ミッションについて電話会議などで何度も話し合いました。SFUでは下準備からコマンドのオペレーションまで、そのころ、いろいろと担当されているなと思っていたのですが、実際かなり深く関わっていたのですね。
國中さんは、ミッションの根幹に関わるような作業と並行して、人工衛星の実運用が少しでも理解しやすくなるように、SFUの紙模型をパソコンで作っていましたね。プリンターで出力して切り貼りすると完成するものですが、かなり精巧なものでして、ミッションについて議論するときに使ったりしましたし、NASAの宇宙飛行士たちがスペースシャトルに持ち込んだりもしていました。地上での訓練や軌道上運用でもかなり重宝しました。
國中さんは、ミッションの根幹に関わるような作業と並行して、人工衛星の実運用が少しでも理解しやすくなるように、SFUの紙模型をパソコンで作っていましたね。プリンターで出力して切り貼りすると完成するものですが、かなり精巧なものでして、ミッションについて議論するときに使ったりしましたし、NASAの宇宙飛行士たちがスペースシャトルに持ち込んだりもしていました。地上での訓練や軌道上運用でもかなり重宝しました。
なぜ、紙模型を作ったのですか。
國中 その頃は暇だったので(笑)。SFUは前途多難で予定通りに打ち上げられなくて、特に仕事もなかったので、紙模型でも作ろうかなと思って結構集中して作りましたね。
一方でイオンエンジンの研究開発を続けていました。実際、「はやぶさ」の開発が始まるのが、SFUが回収された1996年からです。その後は「はやぶさ」の開発に全力投球で、あまりにも忙しくて、世の中がどのように動いているのかさえさっぱり分かりませんでした。2003年5月に「はやぶさ」を打ち上げ、10月にはISASがJAXAとして統合されたのですが、JAXA統合の経緯は本当に記憶にないというか、いつの間にかJAXAになっていたという感じですね。
一方でイオンエンジンの研究開発を続けていました。実際、「はやぶさ」の開発が始まるのが、SFUが回収された1996年からです。その後は「はやぶさ」の開発に全力投球で、あまりにも忙しくて、世の中がどのように動いているのかさえさっぱり分かりませんでした。2003年5月に「はやぶさ」を打ち上げ、10月にはISASがJAXAとして統合されたのですが、JAXA統合の経緯は本当に記憶にないというか、いつの間にかJAXAになっていたという感じですね。

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