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Ideas 公開日: 2018.11.10

【インターネットのほそ道】薄目でながめる「スクショ晒し」、そのグロさについて

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新進気鋭のコラムニスト、小池みきがネット文化の古今をたどる新連載「インターネットのほそ道」。第1回のテーマは「スクショ晒し」。

スクショ晒しを見ると、弥勒になる

 スプラッターなどのグロテスクな映像が苦手で、映画でそういったシーンを見るときは高確率で薄目になる。もともと細い目をさらに閉じて、弥勒菩薩半跏思惟像のような顔で画面を流し見するのである。こうすると、情報の流入量が削減され、心をダメージから多少守れるという寸法。

 同じように、なんとなく目をかっぴらいてまじまじと見つめることができないものが私にはいくつかある。「スクショ晒し」の画像というのも実はそのうちの一つだ。

 ほとんどの人はご存知だろうが一応説明しておくと、これは主に、メッセンジャーアプリでのやり取り、SNSでの投稿など、ネット上の個人のアウトプットをスクリーンショット機能で撮影し、その画像を第三者や不特定多数に開示する行為を指す。

 最近よく見るのは例えば、LINEやダイレクトメールでのプライベートなやり取りを、大勢に拡散する目的でツイッターに晒しているもの。中学や高校で教師をしている友人たちからは、「いじめられている生徒が、メッセのやり取りをいじめグループの間で晒されてトラブルになった」なんて話も頻繁に聞く。

 今やスクショ晒しは、ネット上の一種の文化として定着しているらしい。毎日のように誰かのメッセやツイートのスクショがバズっているし、有名人の不祥事が週刊誌などで報じられる際は、“証拠”画像として、関係者のメッセでのやり取りがそのまま画像掲載されることも珍しくない。

 しかし前述のとおり、これが私はけっこう苦手だ。

 笑えるものやほのぼのしたものならいいのだが、そうではないエグいやつ、たとえば不倫の証拠LINEなんかが視界に入ると、とっさに表情筋が弥勒モードに移行してしまう……とまあこれは少し大げさで、映画のグロいシーンほど「見たくなーい!」と激しく思うわけではない。ただ、それでもじっくり見るのは嫌で、なんとなく目をすべらせておしまいにする、ということが多いのは事実である。

 他の人にとってどうかは知らないが、どうも私にとって、晒されているスクショ画像はやや「グロテスクなもの」に属するらしい。第三者に見られることを一切想定していない、しかもプライベートな領域に深く踏み込んでいるメッセの文章は、私からすると内臓や骨にも等しいのだ。

口頭で言ってくれ

 先日も、某週刊誌で、とある女性議員のメッセが晒されているのを見たときに弥勒面になった。うへえ、と思ってとっさに視線をそらしてしまったのだ。もちろん、そこで語られている話が気持ち悪かったからではない。「私が、こんな形で見ていいもんじゃない」と感じたからだ。

 念のため言っておくが、私はゴシップも悪口も、時と場合と話し相手によってはおおいに楽しめるタイプだ。しかしそんな私でも、スクショ晒しには抵抗がある。

 こういう場合に私が目撃するのは、「彼女のメッセ上の発言」それ自体ではないのだ。彼女ととある人物のやりとりが、おそらくはやり取りをした相手の判断によってスクショされ、週刊誌に売り渡され、本来ならそのやり取りを目撃するはずのなかった私の視界にまで入ってきた、という一連の流れ自体なのである。不快さの、最初のポイントはここにある。

 だからこれは、週刊誌のようなオープンな場で拡散されているものに対してだけ抱く感覚ではない。友人知人からダイレクトに画像を送られたとき、つまり、「晒し先」として指定された場合も、だいたい弥勒になってしまう。

 そう、これをする人、案外多いのである。スクショを転送するのは女子高生や大学生だけだろうと私などは思い込んでいたのだが、2013年の後半にスマホを買ってから、決してそんなことはないと思い知らされた。少し前に別れた恋人も、私よりずっと年上ながら、女子高生ばりにスクショ転送を多用する人だった。彼の様子を見るに、社会的地位の高い中高年男性たちも、カジュアルにスクショ画像を回しあっているようであった。また、週刊誌の編集者にスクショ画像を渡す人は私が思っているよりずっと多いらしい、と知る機会にも何度か恵まれた。おっかない世の中である。「最近の女子高生は、スクショ晒しを避けるため、本当に大事な秘密は口頭で言い合う」という噂を聞いたことがあるが、それは正しいと言わざるを得ない。

 じゃあ、口伝えなど手間のかかった形で聞くのならどんな内容であってもいいのか……と聞かれたら、「限度はあるけど、基本的にはそう思う」と答える。私と無関係でない人が、私に向かって、私に聞かせたいと思って放った言葉であるなら、私はそれを弥勒顔になったりせず受け止めるだろう。その言葉の宛先は、私だからである。

 あるいは、数奇な縁から画家・上村松園の恋文を大量に見せられたときの宮尾登美子のように、「こればかりは自分が引き受けるしかない」と腹をくくるような事態に遭遇したら、それはそれで、どんなにグロテスクな他人の秘密だろうが貪り読むのかもしれない。が、LINEやFBメッセなんて2日に1通くらいしかこない、ツイッターはただ自分が野放図に投稿しておしまい、というような私のネットライフ(おまけに最近スマホをガラケーに戻した!)に、そんな巡り合わせはなさそうである。

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