地球近傍軌道(地球低軌道)を民間企業や、研究機関が使うことで、何ができるのか。どのようなイノベーションにつながるのか。宇宙航空研究開発機構(JAXA)理事・有人宇宙技術部門長で、宇宙飛行士の若田光一氏が、外部識者たちとの対談で探る。


 今回はその第5弾。JAXAの理事であり、最先端技術の研究開発を行う宇宙科学研究所(ISAS)の所長でもある國中均氏と、「はやぶさ」が果たした役割や、JAXAが民間企業と進めている協業プログラムについて議論した。聞き手は本誌。

JAXAで最先端の研究開発を担うISAS

國中さんは、宇宙科学研究所(ISAS)の出身ですよね。ISASは、今JAXAに所属する機関ですが、そもそもISASはどのような組織だったのでしょうか。


國中 ISASの原点は、1918年に設立された東京大学附属の航空研究所です。戦後、GHQによって飛行機の研究が禁止され、理工学研究所と名称を変えました。その後、サンフランシスコ講和条約によって再び航空研究が可能になり、航空研究所が復活しました。その頃、米国で見聞を広めていた糸川英夫先生が帰国してロケットの研究を始めたことで、宇宙航空研究所が設立。1981年にISASに改組され、2003年にJAXAとして統合され、今に至ります。


日本の宇宙研究の最先端を走ってきたわけですが、どんな研究をしてきたのでしょうか。


國中 日本におけるロケットの研究はペンシルロケットの水平発射から始まって、カッパロケット、ラムダロケット、ミューロケットに発展していきました。1957~58年に実施された国際地球観測年(IGY)という国際協力プロジェクトをきっかけに、ロケットにおいて打ち上げ高度をどんどんと上げていく技術が確立されていきます。そして、いよいよ日本でも1970年に、人工衛星「おおすみ」を打ち上げるわけです。でも、米国は1969年にアポロ11号を打ち上げています。当時は、そのくらい技術的な差がありました。


 1986年には国際協力でハレー彗星を観測することになりました。ハレー彗星は75年サイクルで地球に近づくのですが、その時はたまたま地球との位置関係が悪くて、はっきりと見えないことが分かっていました。そこで、各国がこぞって人工衛星を打ち上げ、宇宙からハレー彗星を観測しようとしたわけです。日本が打ち上げたのは、その中でも一番小さい140キロくらいの「さきがけ」という探査機でしたが、これによって日本の宇宙技術は格段に向上しました。


 当時、私は大学院生でイオンエンジンを研究していました。博士課程卒業後に助手として、(先述の)宇宙航空研究所に採用されたのですが、その頃に関わったミッションが宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)という、回収・再利用可能な宇宙実験・観測システムでした。SFUはH2ロケットで種子島から打ち上げ、宇宙でいろいろな実験を行った後、1996年に若田さんがスペースシャトルで迎えに行って地球に持って帰ってくれました。


そのころから、國中さんと若田さんは、お知り合いだったのですね。


若田 そうです。SFUのときに國中さんと初めて一緒に仕事をさせていただきました。スペースシャトルに乗る前から、ミッションについて電話会議などで何度も話し合いました。SFUでは下準備からコマンドのオペレーションまで、そのころ、いろいろと担当されているなと思っていたのですが、実際かなり深く関わっていたのですね。


 國中さんは、ミッションの根幹に関わるような作業と並行して、人工衛星の実運用が少しでも理解しやすくなるように、SFUの紙模型をパソコンで作っていましたね。プリンターで出力して切り貼りすると完成するものですが、かなり精巧なものでして、ミッションについて議論するときに使ったりしましたし、NASAの宇宙飛行士たちがスペースシャトルに持ち込んだりもしていました。地上での訓練や軌道上運用でもかなり重宝しました。


なぜ、紙模型を作ったのですか。


國中 その頃は暇だったので(笑)。SFUは前途多難で予定通りに打ち上げられなくて、特に仕事もなかったので、紙模型でも作ろうかなと思って結構集中して作りましたね。


 一方でイオンエンジンの研究開発を続けていました。実際、「はやぶさ」の開発が始まるのが、SFUが回収された1996年からです。その後は「はやぶさ」の開発に全力投球で、あまりにも忙しくて、世の中がどのように動いているのかさえさっぱり分かりませんでした。2003年5月に「はやぶさ」を打ち上げ、10月にはISASがJAXAとして統合されたのですが、JAXA統合の経緯は本当に記憶にないというか、いつの間にかJAXAになっていたという感じですね。

欧米との技術開発の隙を突いた「はやぶさ」

その「はやぶさ」のプロジェクトですが、小天体に着陸して天体のサンプルを持ち帰るという、これまでとは一線を画すものですよね。この「はやぶさ」のようなミッションをやろう、となったのはどうしてでしょうか。


國中 「はやぶさ」のプロジェクトが立ち上がった頃は、欧米に対してどれだけ新しいことができるのかという技術開発競争に力を入れていました。やはり米国と比べると、ロケットの大きさが全然違います。予算も膨大なので、米国はやろうと思ったらなんでもできてしまうのです。


 これに対して、当時日本が持っていたM-Vという小さなロケットで何ができるのか、どこまでできるのかが、私たちに与えられた課題でした。M-Vだと、せいぜい金星や火星にいくのが精一杯です。そこで、私たちが目を付けたのが小惑星探査です。小惑星だと重力が小さいので、着陸や離脱が比較的容易です。さらに、高性能なイオンエンジンを使えば、地球に物質を持って帰るサンプルリターンが実現できます。


 通常だと、サンプルリターンを実現するには、フライバイ、ランデブー、着陸、そしてサンプルリターンと4ステップくらい必要です。当時、米国はフライバイ、ランデブー、着陸のところまで進んでいたので、私たちとしては一気にサンプルリターンまでいかないと負けてしまう。そこで、小さな探査機でもイオンエンジンを搭載することで、時間はかかるけど4つのステップがまとめて達成できると考えたのです。


國中さんは「はやぶさ」のイオンエンジンの研究・開発だけでなく、運用にも関わっていそうですね。


國中 「はやぶさ」の地球帰還は、いろいろとトラブルがあり、当初の予定だった2007年が2010年に遅れてしまいました。「はやぶさ」はオーストラリアで回収することになったのですが、その回収隊のリーダーもやりました。


 回収隊のリーダーといっても、その仕事は多様です。オーストラリアにしてみたら、ある日突然、変なものが宇宙から落ちてくるわけです。何が入っているか分からないし、どこかにぶつかって大惨事が起きるかもしれない。そこで、「はやぶさ」はこういう手順で安全に落とします、中にはこういうものが入っていて国際的にも地球に持って帰ることが許されているものです、などと説明しました。また、カプセルが落着する、ウーメラ立ち入り制限区域に支払うお金の交渉から、滞在するJAXAスタッフのホテルや食事、移動、現地で雇う業者との交渉まで、すべて手配しました。


 もし落着した「はやぶさ」のカプセルが見つからなければ、最後は歩いて探せと言われていたのですが、そこは予定通りビーコン電波が送られてパラシュートが開き、スムーズに回収できたのでよかったです。


本記事は、日経BP総研とSansan株式会社が共同で企画・制作した記事です。
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