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Features Lifestyle 公開日:2018.05.31

マイクロソフトの幹部教育で学んだメンタリングの極意──技術アドバイザー・及川卓也

マイクロソフトの厳しくも実りある幹部教育を受けた及川卓也は、何を得たのだろうか?

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 本連載「働き方の未来」では、「人生100年時代」に楽しく、自分らしく働き続けるためのワークスタイルのヒントを提示したいと考えている。その第1回として、自分らしいワークスタイルを実践する50代のスターエンジニア、及川卓也氏に、高校から新卒で入社したDECまでのキャリアについて話を聞いてきた。

 第2回となる今回は、DECから移ったマイクロソフトでの話を中心に、及川氏のキャリアをさらに深掘りしていく。高い評価を得ているマイクロソフトの幹部教育の内幕と、及川氏がそこから得たものとは?

マイクロソフト本社へ

DECからマイクロソフトに転職されますが、きっかけは?
 パーソナルコンピュータ(PC)に詳しかったことと、あともう一つ……DECの経営が傾いたんです。米国本社でも日本でも、沈みゆく船から逃げ出す人たちがたくさん出ているような状況でした。そういう人たちの多くが、マイクロソフト(現・日本マイクロソフト)や日本オラクルのような勢いのある会社に転職していったんです。私の親しい同僚たちも、マイクロソフトでマーケティングやSE、開発担当などとして続々と転職していきました。だから「及川も来いよ」って誘ってもらったんです。私も「そっちのほうがいいかな……DECでやりたいことは全部やったから」と、上司に退職願を出しました。

 ただ、その上司が退職願をすぐには受け取ってくれなかったんです。「及川、考えろ。俺も考える」とか言って(笑)。それで1週間ほど経ったら呼び出されて、米Microsoftが「Windows NT on Alphaの日本語版開発リーダーを出せ」と言ってきている、と。当時のDECは、起死回生の一発として高速プロセッサ「Alpha」を発表していたんです。振り返ってみれば、このAlphaが致命傷になって、ますます経営が傾いていくんですけれど……。

 話を戻すと、Microsoftは業界のスター開発者を集結させて、エンタープライズ版のWindows「Windows NT」を開発していました。そのAlpha版を開発するリーダーとして、私に白羽の矢が立てられたんです。

 これは面白い、そう思いましたね。世の中を変える可能性があるOSの開発なんて、経験できないじゃないですか。そんな経緯で、1993年から1年くらいMicrosoftの本社レドモンドに行って、一緒に開発していたんです。

 帰国してからもしばらくはDECに残って、Windows関連の仕事をやったりしていました。でも、経営の傾き具合がだんだん尋常ではなくなってきて、優秀な人も去っていったんです。

 こうなると、外からマイクロソフトの仕事を手伝うのは、自分の正しい時間の使い方とはいえません。外からやいのやいの言うのであれば、中に飛び込んで自分で開発したほうがいいですよね。
DECの及川さんが来るならWindows担当以外ないな、という感じで?
 Windows以外はやるつもりがありませんでした(笑)

 入社したのが97年ですから、ちょうど「Windows 95」が発売されて、マイクロソフトの勢いが確固たるものになりかけている時期でした。でも、エンタープライズではまだまだだったんです。部門サーバーやファイルサーバーにWindowsが採用されることはあっても、その上はUNIXなど様々な選択肢がありましたから。

 話を聞いてみると、ミッションはエンタープライズ版Windowsの立ち上げ。そのためのOSが「Windows 2000」、当時は「Windows NT 5.0」と呼ばれているものでした。そのNT 5.0の説明をメディアで読んだり、マイクロソフトが開催していたイベント「TechEd」を横浜に見に行って衝撃を受けたりしましたね。

 それで、ずっと声をかけてもらっていた先輩に入社の意向を伝えて、入れてもらったんです。

モバイルで変わったワークスタイル

PCにオフィスがあるのが当たり前になってきた時代ですよね。第1回のDEC時代のエピソードでは、自宅にネット回線も速いPCもないので休日出勤していたという話がありましたが、マイクロソフトではワークスタイルが変わりましたか?
 今はスマートフォンやタブレット、ノートPCがありますが、私は95年か96年くらいにはWindows 3.1やWindows NT 4.0を搭載したノートPCを持ち始めていたんです。ラップトップがあると、やっぱり仕事が変わるんですよね。今のマシンに比べて非常に不便で重いし、立ち上がりにも時間がかかったものですが、それでも「その場でいろんな操作ができる」のですから、すごく重宝しました。
 デルの「Latitude」を使っていたんですが、とても丈夫で落としても壊れないんです。あと、昔の「Latitude」ってディスクがリムーバブルなんですね。カッチャン、カッチャンと入れ替えられるので、簡単に環境を変えられるんです。

 僕の場合それがすごく大事で、NTの開発でもビルドが違うものを入れて実験したい、でも普段自分が使う環境は安定していてほしいなどと、そんなニーズに応えてくれました。ディスクパックを何個も持っていましたね。
そうすると、自宅でも仕事ができるようになりますね。
 そうなんです。まず家にネット回線を引いて、息子、娘、私の各部屋とリビングをLANでつないで、どこからでもインターネットにつなげるようにしました。自分の部屋には簡易のラックを置いて、ベアボーンの薄いマシンを10台くらい買ってきて、そこでWindows 2000のActive Directoryなんかを使って環境を作って、家でも実験できるようにしていました。

 というのも、対外的な情報発信をすごくやっていたんです。今のユーザー会の走りなんですけれど、Windows NT User Group(JWNTUG)の技術顧問をやっていましたし、イベントで発表することもありましたし、書籍や原稿の執筆も多くて、そのためにもテストや確認できる環境が必要だったんです。

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