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Ideas 公開日: 2019.01.12

旅で教養は身につきますか?──哲学者たちが旅した18世紀のヨーロッパ

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旅先で遊び呆ける御曹司。教養を身につけたのは随行した家庭教師たちだった。

 世界をバックパック一つで放浪するヒッピーの旅、居酒屋に貼られたポスターをきっかけに船で世界一周する自分探しの旅、MacBookとiPhoneを携え旅先の風景や出来事をSNSでシェアする自己実現の旅──私たちがよく知っている「それ」だけが、旅ではない。テクノロジー、政治、歴史、宗教によって、常に姿を変え続ける旅の本質はどこにあるのだろうか。

 第1回は、万葉集、『ギリシア案内記』、それからイブン・バットゥータの『大旅行記』を見ながら、古代から中世にかけての旅のあり方を振り返った。当時の大規模な移動を伴う旅は、戦争や兵役などの政治的なものや、聖地巡礼を目的とした宗教的な意味合いのものがほとんどだったといっていい。

 今回はそれよりも少し、時代を進めてみよう。時代は18世紀である。イギリスの上流階級の御曹司たちは、短ければ数カ月、長ければ2年間にわたり、主にフランスやイタリアを旅行する「グランドツアー」に出かけていった。御曹司たちに同行した者の中には、彼らの家庭教師を務めたアダム・スミスやトマス・ホッブズなどの、哲学者たちもいた。
 また同時期、江戸時代の日本では伊勢神宮を参拝する「お伊勢参り」が大流行する。「一生に一度のお伊勢参り」と意気込んで、年間数十万人、当時の人口にしておよそ20人に1人が、伊勢神宮まではるばる出かけていった記録が残っている。

 彼らはなぜ、こぞって旅に出かけたのか。彼らは旅に何を求めていたのか。第2回は、ヨーロッパと日本の近代を探ってみることにしよう。

グランドツアーで教養は身につかない

 18世紀のイギリスで、上流階級の御曹司たちの間で大流行したグランドツアーは、今日の「旅行」を予告する存在だったといえる。大航海時代に発見した新大陸との交易で貴族たちの生活はよりいっそう豊かになり、聖地巡礼や交易などを目的としない「見聞を広げる」「教養を身につける」ための旅行が、誕生したのである。

 当時のイギリスの貴族は、子供が16歳前後にさしかかると、家庭教師や召使いなどを同行させてヨーロッパ大陸を数カ月~数年間にわたって周遊させた。目的は、フランス語やイタリア語の習得、各地の社交界に身を置き優雅な振る舞いや会話術を身に付けること、またルネサンス芸術に触れて芸術の審美眼を養うこと、などなどである。特に人気だったのはパリからアルプスを越えてローマ、ナポリ、ヴェネチアあたりのイタリアを旅するコースで、当時は文化的に二流と見なされていたドイツやロシアまで足をのばすケースは稀だった。荷物もかなり多く召使いも複数いたため、移動は馬車を数台使い、かかる金額も相当なものだったらしい。

 しかしこのグランドツアーが本当に御曹司たちの教養を深めるのに役立っていたかは、疑わしい面もある。というのも、親の目から逃れた金持ちのドラ息子たちは、旅先で羽をのばして、やりたい放題に大騒ぎしていたからだ。パリでは、フランス語のできない彼らはイギリス人同士でつるみ、毎晩パーティーや観劇に出かけた。大金を持ったコドモが親の目の届かないところで毎晩遊びほうけているわけだから、賭博や買春、不倫などでトラブルを起こす者も少なくなかったという。16歳前後では語学を習得するには遅すぎるし、高度な学術に接するには早すぎる。結局金を遣って女遊びを覚えて終わるだけじゃないかと、ジョン・ロックや後述するアダム・スミスは、グランドツアーをのちに痛烈に批判している。

 一方で、この当時のイタリアが文化的に一流とされ、当時の人々にとってもっとも旅情を誘う土地であったこともまた事実である。詩人のゲーテは『イタリア紀行』に自身の旅の様子を書き記したし、またターナーは旅先で訪れた土地を絵画に描き、ロマン派の画家として後世に名が知られるようになる。

アダム・スミスとトマス・ホッブズがグランドツアーで得たもの

 御曹司のほうはたいした教養を身につけられはしなかったが、若様とともに大陸を周遊した一流の家庭教師たちのほうは、このグランドツアーでかなり重要な出会いを得ていたらしい。

 アダム・スミスはジュネーブの近くで哲学者のヴォルテールと会い、パリでは同じく哲学者のヒュームの紹介で、さまざまなサロンに顔を出し、経済学者たちと知り合いになった。そこで得た知見が、のちにスミスが『国富論』を書く土台となっていったのだろう。またトマス・ホッブズも、家庭教師として17歳の若様に付き添いながら各地を旅し、イタリアでガリレオに会ったり、パリでデカルトをはじめとするさまざまな哲学者と交流したりしている。ホッブズの『リヴァイアサン』は、フランスやイタリアで習得した論理的な思考方法がもとになっているといわれているのだ。今となっては外国人に冷たいイメージのあるフランスだが、当時のパリの社交界はとても寛容で、外国人を大いに歓迎したという。

 批判も多かったグランドツアーだが、御曹司たちはともかく、同行した家庭教師にもたらした恩恵は、のちの哲学や芸術にとって計り知れないものがある。また当の御曹司たちにとっても、グランドツアーから得られたものはかなり個人差があったらしい。ある者は賭博と女遊びだけを覚えて帰国、ある者はイギリスが他の国よりも優れていると確信して帰国、またある者は外国にかぶれて奇抜な格好をして周囲を驚かせ、フランス語やイタリア語を混ぜながら(ルー大柴みたいなものである)話すようになって帰国。1764年にはグランドツアーを経験した貴族が集まって「マカロニ・クラブ」が創設されたが、このクラブのメンバーは奇抜な衣装やヘアスタイルで有名で、のちに「マカロニ」は「伊達男」を意味する言葉になってしまった。

 グランドツアーに出かけた御曹司たちと同行した家庭教師のエピソードは、「どこ」を旅するかではなく、「誰が」どのような目的意識を持って旅するかによって、得られるものはこんなにも違うのだと、少々皮肉っぽく教えてくれる。旅にさえ出れば教養が身につくわけでも、見聞が広がるわけでも、自分が見つかるわけでもない。これは今も同じである。

「お伊勢参り」の目的は伊勢神宮ではない?

 イギリス貴族の御曹司たちがフランスやイタリアを周遊していた一方で、ほぼ同時代の日本で大流行していたのが、伊勢神宮への参拝を目指す「お伊勢参り」である。1718年に伊勢山田奉行が参宮者数を幕府に上申した例によると、この年の正月から4月15日までの間に、42万5700人もの人が伊勢神宮を参拝したという記録が残っている。これは、当時の人口比から考えると相当な割合だ。グランドツアーがあくまで上流階級の子弟たちのものだったのに対し、伊勢神宮へ旅していたのは日本の庶民である。

 当時の日本人はなぜ、「一生に一度のお伊勢参り」に出かけたのか。第1回で扱った中世の旅のように、聖地巡礼が目的だったのだろうか。

 ただ、当時の庶民の間で天照大御神がそれほど深く信仰されていたとは思えない。「お伊勢参り」は、庶民が一生に一度、日常生活を離れて大いに楽しむことが許されるハレの時間だったのではないか──と考えたほうが自然である。東に住む者は伊勢、大阪、九州、四国を巡り、西に住む者は江戸、日光、奥州松島を巡る。伊勢神宮へはもちろん行くが、そのついでにいろいろと足を伸ばして楽しもうというわけだ。聖地巡礼はどちらかというとタテマエで、実際には、お伊勢参りは物見遊山的な存在だった可能性が高いのである。このあたりは、物見遊山的な要素はあってもあくまで目的地にたどり着くことを重視していた、西洋のイスラエルやサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼とは大きく異なるところだ。

 またお伊勢参りを語る上で欠かせないのが、「おかげ参り」である。おかげ参りとは、大勢の人が短期間に群をなして伊勢神宮におしかける現象だ。宝永2年(1705年)には、5日間で362万人もの人出があったという記録もある。集団で派手な衣装を着て伊勢音頭を歌いながら道中を旅する集団もいたらしいのだが、こういった例を聞くと、毎年大騒ぎになる「渋谷のハロウィン」みたいな現象は、何も現代だけで起きているわけではないのだとわかるだろう。不思議なのは、おかげ参りの流行はおよそ60年前後の周期で定期的に発生しており、流行の前には飢饉や一揆の多発など、社会的な不安の要因となる出来事が何かしら起きていることだ。ただ、これらを関連付ける明確な証拠はない。

海外旅行の民主化、大衆旅行時代へ

 イギリス人の貴族の間で流行したグランドツアーの習慣はその後、19世紀になると次第に衰えを見せていく。産業革命によって社会の構造が変化し、貴族にそれまでのような余裕がなくなったからだろうか。代わりに19世紀には交通機関が飛躍的に発展し、旅行代理店のような観光産業も誕生したことによって、貴族だけではなくブルジョワ階級のちょっとしたお金持ちも旅をすることを考えるようになった。また江戸時代を賑わせた「一生に一度のお伊勢参り」「おかげ参り」の流行も、明治時代以降になると社会構造の変化からか、徐々に陰りを見せていった。

 現代の私たちが頭に思い浮かべる近代的な「旅行・観光」は、基本的には19世紀以降のものだといっていい。ただし、「教養を身につける」「見聞を広める」「人間的に成長する」「気分転換」「物見遊山」など、今の私たちが旅行に求める要素は、18世紀の旅行人にもある程度共通していたものがあったといえる。

 最終回となる次回はいよいよ、現代の「旅」を考えてみる。バックパッカーやヒッピーの旅に続く現代の旅は、Airbnbなどのテクノロジーを抜きに語ることはできない。テクノロジーは、19世紀以降続いてきた私たちの「旅」の概念を、あるいは変えてしまうのだろうか? 技術は新しい「旅」を到来させ得るのか、考えてみることにしよう。
参考文献
巖谷國士『旅と芸術: 発見・驚異・夢想』平凡社
堀川哲『エピソードで読む西洋哲学史』PHP新書
本城靖久『グランド・ツアー 英国貴族の放蕩修学旅行』中公文庫
岡田温司『グランドツアー 18世紀イタリアへの旅』岩波新書
神崎宣武『江戸の旅文化』岩波新書


執筆:チェコ好き


本記事は、日経BP総研とSansan株式会社が共同で企画・制作した記事です。
© 2019 Nikkei Business Publications, Inc. / Sansan, Inc.

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