第1回は聖地巡礼がメインだった中世までの旅を、第2回は17世紀にイギリスの貴族たちの間で流行した「グランドツアー」について考えた(第1回第2回の記事はこちら)。最終回である今回は、いよいよ現代の「旅」について考える。

現代の「旅」は19世紀に始まった

 まずは、「グランドツアー」がその後どうなったかを少し見てみよう。1825年にイギリスで世界最初の鉄道が開業、さらに1831年にはフランスでも鉄道が開業し、以来、鉄道が旅のあり方を大きく変えていった。また1841年にはトマス・クック社が世界で初めて観光産業を生み出し、多くの人が海へ、山へ、外国へとバカンスに出かけるようになる。このあたりから、今の私たちが考えているような「旅」の時代が始まったのである。


 ちなみに、当時、鉄道によって馬車よりもずっと高速で移動できるようになったことについて、「こんなものが旅行といえるのか」と批判する声も湧き上がっていたそうだ。いつの時代も、新しいテクノロジーは批判の的になる──そのことがよくわかるエピソードである。旅行が大衆化していくなかで、イギリス貴族の御曹司たちが「教養を身につけるために」出かけるグランドツアーは、徐々に存在感を失っていった。


 鉄道だけでなく、大型汽船での旅も一般的になった。大型汽船での旅は、1912年のタイタニック号沈没事件を経て、第一次世界大戦中は一時なりをひそめたようだが、このころから傾向として、旅行はどんどん遠距離化・集団化していった。同じ時期には、ジューヌ・ヴェルヌは冒険旅行小説『80日間世界一周』を発表し、空前の人気となった。小説の中で、ヴェルヌの描く登場人物たちはひたすら「異郷」を求め、海底へ、地底へと旅を続けた。


 その後は、本格的に大戦の時代に突入すると、世の中はあまり旅に浮かれてもいられない雰囲気になった。戦争は旅行とはまったく異なるものだが、水木しげるが激戦地ラバウルでの人々との交流を『水木しげるのラバウル戦記』で書いたように、故郷を遠く離れ異郷へ赴くことは、人々に何らかの感慨をもたらすものではあり続けたのだろう。水木しげるがパプアニューギニア・ラバウルで現地の人々をスケッチしたり、彼らの生活と自分たちの生活との違いについて書いていたりするのを見ると、この本が「戦記」ではあるものの、どこか「旅行記」の空気も纏っているような気がしてくる。


 このころは、イギリスのロバート・スコットが率いる南極探検隊と、ノルウェーのロアール・アムンセン率いる探検隊が、南極点到達を競っていた時期でもある。最終的にはアムンセンがこの競争に勝利し、スコット南極探検隊は、ほぼ全員が死亡する最悪の事態となったものの、地球上で「人類未踏の地」はかなり限られるものになってきた。

「自分探しの旅」の流行

 戦争から少し時をおいて、次に注目したいのはアレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらが台頭する1950年代のビート・ジェネレーションの時代だ。ケルアックは小説『路上』で、アメリカ大陸を放浪する若者の様子を描いた。そしてそんなビート・ジェネレーションに影響を受け、1960年代には、ヒッピーと呼ばれる若者たちが台頭してくる。彼らはマリファナを吸い、バックパックを背負い、ときにインドに赴いた。画家の横尾忠則もそんな流れに乗った一人で、著書『インドへ』の中で、ニューヨークで体験したドラッグによるトリップと、インドで体験した旅行の様子を並列的に語っている。ちなみに日本では、観光目的の海外旅行が自由化されたのは1964年のことだ。26歳のフルブライト留学生だった小田実が欧米・アジア22カ国を旅した『何でも見てやろう』が出たのは、1961年である。


 90年代以降になると、日本では「世界一周、99万円」などと謳ったクルーズ船のポスターを居酒屋などで頻繁に目にするようになるけれど、これはピンと来る人も少なくないだろう。NGOピースボートが主催する、世界一周クルーズの広告である。クルーズ船での旅行というと何やら豪華なものをイメージするけれど、ポスターを見てお金を貯め、船に乗り込む者の約4割は20代の若者だという。


 2009年に発表された津村記久子の『ポストライムの舟』は、契約社員として工場に勤務する29歳の主人公が、自分の年収(163万円)とほぼ同額の世界一周クルーズ旅行を夢見る、という物語だ。世界一周の旅に出れば、今の生活が、自分自身が、何か変わるかもしれない。「世界一周」の発想自体はジューヌ・ヴェルヌが冒険旅行小説を書いた時代からあったけれど、この時期から「旅」は若者にとって、「自分を変えるための何か」「退屈な日常を抜け出すための何か」という自己啓発的な意味を帯び始めたのかもしれない。「自分探しの旅」という言葉をよく聞いたのも、この時期のことである。


 90年代〜2000年代前半の「自分探しの旅」で特筆すべきところは、焦点が「向かう先の海外」よりも「自分自身」にあったという部分である。自身ピースボートに乗船し世界一周クルーズを体験した社会学者の古市憲寿の調査によると、第62回クルーズでは、39歳までの若者でピースボートに乗船する動機として最も多かったのが「たくさんの場所を観光したかったから(73.3%)」。であり、次点が「それまでの生活を抜け出したかったから(40.8%)」。ピースボートで巡る海外が、初の海外旅行だったという乗客も珍しくなかったらしい。「たくさんの場所を観光したかったから」という回答は焦点が「向かう先の海外」にあるように見えなくもないが、具体的な行きたい先がいくつもあるというより、「とにかく世界一周がしたかった」が実情に近かったのではないかと古市は分析している。ピースボートに限らずクルーズ船での世界一周旅行全般にいえることだが、目的地へ寄港して観光するその時間と同じくらい、もしくはその倍以上を「船内」で過ごすことになる。ピースボートと豪華客船ではクオリティに差はあるものの、船内でダンス講座や演劇やクイズ大会が行われるなど、何かとイベントが多いのはクルーズ船での旅行の特徴だ。

SNSと旅行

 2000年代後半になると「若者の旅離れ」という言葉を耳にする機会が多くなる。「若者の○○離れ」はどの分野でも盛んに聞く言葉だが、「若者にはお金も時間もないから」というのが、その現象の主な理由とされている。


 これに対して観光庁は2013年に、若者旅行の振興を目的に、インターネットを通じてアンケート調査を実施した。それによると、過去1年以内に宿泊を伴う旅行をしていない「ゼロ階層」は、旅をしない理由として、やはり「お金に余裕が無くなったから」を最も多く挙げている。そして将来的に宿泊を伴う旅行をしたいかという問いには、国内旅行については約3割が「増やしたい」と回答しているが、海外旅行については「増やしたい」は2割弱にとどまっている。


 ゼロ階層・非ゼロ階層ともに旅の情報収集先はインターネットであり、また「家族・友人・知人の口コミ」を重視している。そのため、「SNSで発信したくなるようなネタを提供すること」が、若者の旅行を後押しすることになる、と観光庁は結論付けている。Facebookページを書籍化した詩歩の『死ぬまでに行きたい! 世界の絶景』が若い女性を中心に話題を呼び、2014年には「絶景」が流行語大賞にノミネートされたことを振り返ると、この結論は確かに腑に落ちるものがある。

本記事は、日経BP総研とSansan株式会社が共同で企画・制作した記事です。
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